少し書きます。


【 閲覧注意 】

(人によっては不快に思ったり、理解できない場合がございます。理解のある方のみ閲覧お願いします 。)


■ 前書き

「穢多・非人」とあるが、かつては、「士農工商、非人、穢多」です。 

犯罪を犯したもの(非人)は、農民や商人に戻ることができましたが、エタ(穢多)は無理でした。

身分制度の一種と思われている場合もありますが、「人間の存在の識別」に近いようにも思われます。


更に飛躍して例えます、「士農工商、非人、穢多、馬、牛」といえば、分かりますでしょうか。

これが地域によっては、「労働力のある家畜の方が上」であったなどと聞くことがあり、エタというのは家畜の下だった存在かもしれない。

罪や何らかの問題があったから、「エタ・ヒニン」なのです。


■ 人口の割合や「壬申戸籍」

ある調査によると、

総人口 43万5267人
士族 1万5514人
士族下部 1万2535人
寺院 4786人
非人 4人
死刑 5人
穢多  386人


ぐらいの割合。


これは、殺人犯などの特殊な人口割合と同じレベル。

(43万人に対して、390人。この386人のエタの中には、当時、目の見えない方や耳の聞こえない方、足が動かない方など、障害を持つ人や、何らかの奇形の病の方もかなり居ると推測される。[ 村から追い出された。] つまり、実質数は更に低い)


(個人的には、固有名詞に限らず、先祖探しや自分のルーツを知る上で、血筋などの分かる「壬申戸籍」を公開しても良いと思っております。)


ちなみに「同和地区出身」であっても、必ずしも、「穢多・非人」であるとはいえません。「同和地区出身」の中の更に一部がエタ・ヒニン。


根本的には、「罪や問題」があるからこそ、そうなった人たちなのです。


そして、

もしも部落でなかったら
好きな人と お店が持てた
部落に生まれたその事の
何が悪い 何が悪い

でもね、


■ ルーツ

四つ足の「よつ」なんです。牛や馬などの獣と一緒であって、「人間ではない」という意味なんです。

DNAが恐らく、「猿人」かと推測される。

それぐらい遥か昔から従属してきた階層であって、特殊なのもありえます。

彼らは、人じゃない可能性もありえます。


■ 戦後

その後に、「朝鮮人」なども、ごっちゃに一緒にされるようになりました。
 
元々「穢多・非人」が、住んでいた「同和地区」(部落)と呼ばれるのが、変化しているのです。


明治には、それほど多くもなかった部落が、昭和になり「戦争」を経て、増えている。

戦争にて、朝鮮半島から連れてきたりなどの理由で増加した。



「差別」は良くないということで、国は援助金を出すことを決めたら、「部落」と名乗る地域がでたりもしている。


本来、人口比でみれば、少ないはずの者が、なぜか多くなっていく。

「明治前からの穢多・非人+朝鮮の方+地域が部落出身であるだけの方」と増加している。

(そもそも、江戸時代にそんなに何万もの穢多・非人が居たら、幕府は統治できないし、普通に暮らす農民も不安だったはず)



先祖がどうであれ、「今現在の人は関係無い」と思う方もいるけれど、問題になっているのは確かです。

先祖が、そのような者だったから、永遠に国に賠償してくる輩もいる。

(明治前からの穢多・非人は、そんなにいないし、それ以降に「差別されたグループ」と本質的に違うグループです)


■ 本来の区別

人は確かに生きる権利や楽しむ権利もあります。


犯罪を犯したから、どうとかじゃないのです。

障害者だから、どうとかじゃないのです。


そういう人をまとめたのが本来の地域であった。



非人とは犯罪者で、「彼らに、罪も無い殺害された人々」もいるのです。

江戸時代などの「村社会」において、村を追放されて、そこまで地位が落ちるのは、特殊の中の特殊にあたる。

現在でいえば、「連続殺人犯」と同じで、さらに更生すら見込みのないと判断されたもの。



人口の何割も、「穢多・非人」が占めるのではないのです。

それなりに理由があるかと思います。

 



data:2015/02/02 23:00
変更:2015/04/24 19:55 
変更:2016/06/16 16:50