どうせ無意味からポジティブに考える。


【個人メモ、雑談】

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どうせ無意味だから、考えても分からない。

もし、そう思ったとすると、「限界」は、そこにある。

1776年7月4日、アメリカ独立記念日(インディペンデンス・デイ)があります、そんな関連した内容から、上向きなことを書いてみたいと思います。

■ 限界とは

これ以上は、不可能と感じ、ギリギリの範囲の中にいると思ってしまうことは、誰にでもある。

「疲労が限界に達している 」「それ以上は進むことができない」などは、よくある出来事です。

能力の極限に挑むことは、困難で難しいが、「極限状態」なのか状態や状況を判断することは可能となります。

■ 判断する力

能力そのものである「力」は、恐らく有限で、限界もみえたりするが、内容によっては変えることができる。

ポジティブでもネガティブでも、同じであって、「分析」「判断力」など、状態を把握することが重要であると、気付いたことがあります。

■ 無意味

そんなことをしても、「役に立たない(現在)」「役に立たなかった(過去)」「役に立たないだろう(未来)」に感じることは普通にわかるかもしれません。

現在、過去、未来の3つに、まず分けて考えると、解決のヒントになる場合にあります。

単純ですが、大枠で「判断基準」となることがあります。

■ 雑談

「どうせ無意味だから、考えても分からない」、ということもあるかもしれませんが、時間軸という関係を考えると、そうでもない。

無意味なことをした自分がいた、そこに、無意味なことを終えた自分がいる。

その先に、未来が繋がっていて、選択肢があるのです。

"記憶の伝承"ともいうのか、関連されて、「失敗した経験」みたいなのが存在します。

ある時、「考えても分からない」から、なんとなくヒントが生まれてきて、変化します。

そして、未来が見えてきたと感じるようにプラスになることがあります。

そこで、「再生」することが出来れば、「無意味」ところか経験となって、役に立つ内容と変わるのです。

■ あきらめる

今回は、こういったケースもあるという内容で、全てがその通りになるとか、意味のある事だとは限らないです。

その価値基準を決めるのは、本人になります。

能力の限界を感じて、「諦める」という選択も必要なときはあるかもしれません。

諦めることによって、「偶然に幸運」が来ることも例としては良く聞きます。

その「幸運」を呼ぶために、才能や能力を磨く必要があると、私は思ってます。

(選択肢という範囲が広がるという理由。)

望みは諦めては、いけない時もあり、確固たる決意を示した日として記憶されることもある。



data:2016.7.6 0:28